人のお世話にならぬよう
人のお世話をするよう
そして むくいを求めぬよう

 後藤新平(安政4年~昭和4年)仙台藩(水沢)、現在の奥州市生まれ。

愛知県医学校(愛知大学医学部)学校長兼病院長、台湾総督府民政長官、満鉄総裁、拓殖大学学長を経て、逓信大臣、東京市長、内務大臣、外務大臣を歴任。
関東大震災直後に組閣された第2次山本内閣では、内務大臣兼帝都復興院総裁として、震災復興計画を立案した。
それは、大規模な区画整理と公園・幹線道路の整備を伴うもので、13億円という当時としては巨額の予算のため、財界から猛反対に遭い、結局議会が承認した予算は、5億7500万に過ぎず、計画を大幅に縮小させざるを得なかった。それでも、現在の東京の都市骨格、公園や公共施設の整備の骨格は、今なお、この計画の負うところが大きい。