野球のスコアボードじゃなく、人生のスコアボードに、いい記録を残しなさい。

我喜屋優(22年甲子園春夏連覇 沖縄興南高校 野球部監督)

我喜屋監督は、昭和43年夏、興南高校の選手として甲子園4 強入り。しかしその年優勝した大阪興国高校に0-14で大敗しました。パスポートを持って船に乗り、鹿児島から夜行列車ではるばる大阪へ向かった18歳の夏。
「内地」つまりは本土との格差にうちひしがれたと言います。
そして今年の夏、歴史的勝利を目前にして、9 回の守りの記憶がはっきりしなかったとの事。
40年以上前の色あせた映像がよみがえったそうです。
北海道白老の大昭和製紙野球部で、選手から監督となり、沖縄の母校に戻ったのは、大敗の苦い経験から39年後のことでした。