詩人 坂村真民シリーズ その1

念すれば 花ひらく
苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを
わたしも いつのころからか となえるようになった
そうして  そのたびわたしの花が ふしぎと
ひとつひとつ ひらいていった

小学校の校長をしておられた、坂村氏の父親が、40歳の厄を超えきらず、5人の子を残して亡くなったとき、母親は36歳でした。今のように、社会保障も無い時代です。母方の祖母が来て、「上の3人はどこにやるか、奉公に出すかせよ。下の2人子だけ連れて帰って来い」と強く母親に迫ったそうです。夜中の1時を過ぎても、とうとう「うん」とは言いませんでした。何の蓄えもなく、女手一つで5人の子を育て、72歳で亡くなるまでの生涯は、多事多難の連続でしたが、その母親が苦しい時、いつも口にしていたのが、「念ずれば花ひらく」だったそうです。